二人を繋ぐ紙飛行機 -囚人- (後編)




 初めて紙飛行機を送った日から、幾月か経った。
 その日の彼女の様子は、おかしかった。
 ……最近送られてくる手紙にも、違和感を感じていた。

『遠くへ行くことになったの。もう、貴方とは会えないわ』

 嫌な予感がしてその場で手紙を広げると、そんな言葉が目に飛び込んできた。
 彼女は、柵の向こうで微笑んでいる。
『だから、これが最後の手紙よ』
「そん、な……」
『今まで、ありがとう。それから……バイバイ』
 ――手紙の端に、涙の跡。
 僕は柵に近寄る。
 君は、こんなに近くに居るのに。
 僕がいくら手を伸ばしても、君には届かない。


「バイバイ」


 今まで何度も会っていて。
 初めて聞いた、君の声。
 想像していたよりずっと愛らしい声で、君は別れの言葉を口にする。

「待って……!!」

 ぐしゃりと、僕の手の中で彼女の手紙が潰れる。
「待つよ! いつまでも、待ってるから……!!」
 手紙を握る手を、高く上げた。
 看守に見つかっても、構うものか。
「手紙を、大事に、なくさずに居られたら……また、会えるでしょう……?!」
 初めて会った頃と、同じ。
 少女は、無言で微笑んだ。
 彼女は僕に背中を向け、歩き出す。

「また、会えますよね……!!」

 彼女の背中が、小さくなっていく。
 その姿が見えなくなった時、僕の頬には涙の筋が幾筋も流れていた。




 君が居たから、僕はここまで生きてこられて。

 君が笑うから、これからどんな運命になっても笑って行けると思った。

 君の名前を、僕はまだ知らない。

 ――それでも僕は、君と出会って。


 僕の未来が、輝いた気がしたんだ。
 

 名前を知らない僕は、君を呼ぶことが出来なくて。
 ここから出られない僕は、去って行く君を追うことも出来ない。
「ど、して……っ」
 今更になって、気付いた。
 ……違う。今までずっと、気付かない振りをしていた。
 彼女と僕には、差がありすぎる。
 人を殺めてしまった僕には、彼女を愛する権利はない。
 それなのに。
 それなのに、僕の心は彼女を欲して止まない。



 名前も知らない君を、僕は愛している。



 部屋で一人、泣いて居ると。
 唐突に、数人の看守がやってきた。
 そして、僕から手紙を奪っていく。
 ……彼女からの、手紙を。

「――っ!! 返せ……ッ!!」

 突然の行動に、慌てて看守に掴みかかろうとする。
 鈍った思考と重い体は、かみ合った動作をしてくれない。
 足がもつれて、僕はその場に倒れ込んだ。
 手紙を奪ったのとは別の看守が、僕を押さえつける。

「お前の、処刑が決まったよ。今すぐだ」

 びりびりと乾いた音を立て、僕の目の前で手紙が破られて行く。
 細かい紙切れとなり地面に落ちていくそれを、僕はぼうっと眺めていた。


 暗い部屋に紙切れと共に押し込められ、僕はその場に倒れる。
 僕に、元々手紙だった物が降り注ぐ。
「もう……会えないや。ごめんね」
 もう、立ち上がる気力もない。
 君が居なくなってしまった世界に、未練はない。
 なのに、僕の心はうるさいぐらいに叫んでいる。
 もう少しだけ、この世界で生きてみても良かったかなと思ったのに。
 あぁ、君に、もう一度だけでいいから会いたい。

 あいたい。

 ……アイタイ。

 ――……会いたい!!

「もう一度……会いたいよ、君に。最期に、君に……」
 君の笑顔が、浮かぶ。
 手紙の一文字一文字が、浮かんでは消えて行く。
 君はいつも、輝いていた。
 少しだけ、僕も傍に居たかった。
 届かないとわかっていても、手を伸ばさずには居られなかった。

 少しずつ、苦しくなっていく。

 僕は扉に、手を伸ばす。
 届かずに宙を掻いたその手は、ぱたりと床に落ちた。
「話しを……君と、話しをするって……」
 涙が零れた。
 冷たく頬を濡らす。
「お願い、話しをさせて……! 彼女に、会わせて――……!!」
 最期に、最期に。
 狭くて暗い部屋に、僕の声だけが響く。
 だんだんと、声が出なくなる。
 胸が苦しくなってくる。
 呼吸が、出来ない。
「せめて」
 絞り出した声は、掠れていた。
「君の」
 視界が暗くなっていく。
「名前」
 僕はゆっくりと、目を閉じた。
「だけでも」
 君の笑顔が、浮かんでくる。
『おやすみなさい』
 君の声が、聞こえた気がした。



「知りたかッタ――……」



 僕は呼吸をするのをやめた。
 向こうへ行ったらまた、君と会えるかな。
 君の手紙は、全部なくなってしまったけれど。
 向こうで会えたらまた、話しをしよう。
 今度は、紙飛行機じゃなくて。
 隣同士座って。
 声で。
 ここで、君の声を聞けなかった分。
 今度はいっぱい、君の声を聞かせて。





END


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