二人を繋ぐ紙飛行機 -少女- (後編)




 何日も何日も、私は病院とパパの仕事場を行き来した。
 日々、体は重くなって行く。
 それでも私は、あの場所に行かずには居られなかった。
 今の私にとって、あの場所が私の全てになった。
 君に会うことに意味があって、その他の事はもう、どうでもいい。
 真っ白だった世界は鮮やかな色とりどりの世界に変わり、私を迎え入れる。
 その日彼は、傷だらけの手に真っ白な何かを持って居た。
 それが私の元へ、飛んでくる。


 二人の壁を越えて、飛んでくる。


 それは、紙飛行機だった。
 壁を越えた紙飛行機が、私の足下に落ちる。
「君に」
 私がそれを拾い上げると、彼がそう言った。
 そして、足早に去って行く。
「……私、に……?」
 なんで、紙飛行機?
 彼をちらりと見てから、私もその場を後にした。


 病室に帰ってそれを広げた私は、目を疑った。
 ただの紙飛行機だと思っていたそれは、手紙だった。
 つたない字で、色々な事が書いてある。
 紙一枚分、びっしりと彼の事が綴られている。
『僕はもう、柵の外を忘れてしまったよ』
 彼はこの手紙を、どんな気分で書いたのだろうか。
 ただ、手紙を貰えたことがとても嬉しかった。
『だけど、君と会えば会うほど、外に居る気分になれるんだ』
 思わず頬が染まった。
 なんだか、くすぐったい気分だ。


「返事……書かなくちゃ」


 ひっくり返す物もないような部屋だ。
 どこかに紙があった覚えもない。
 私は看護師さんに話しをして、便せんを一枚譲って貰った。

『いつか、きっと外に出られるわ。そうしたら、絶対にお話ししましょうね』

 同じぐらい手紙に時を書き込んで、彼が折ったのと同じように紙飛行機を折る。
「こういうのを、文通って言うのかしら」
 自分がそれを飛ばすところを想像して。
 思わず顔がほころんだ。


 飛んでけ、飛んでけ。

 紙飛行機。

 彼の元に、私の想いを届けて。


 次の日私は、それを空へ飛ばした。
 無事彼の手元へ届いた手紙。
 受け取った彼の姿を見て、私は思わず笑みが零れた。
 ねぇ。私の想い、貴方に届くかしら。


 あれから、幾月か経って。
 ある日私の部屋にやって来たパパの顔は、とても険しかった。
 叱られる、と咄嗟に思った。
 けれど、パパの口から出た言葉は私の想像と少し違い。

「もう、あの子に会ってはいけないよ」

「あの、子……」
 あぁ、パパは知ってたんだわ。
 きっと最初から、私が病院を抜け出していたことも。
 パパの仕事場へ行った事も。

 あの子と、手紙のやりとりをしている事も。
 
 でも、私の気持ちなんてこれっぽっちもわかってくれない。
 私にとって彼は、全てなのに。
 この光の射さない部屋に、輝きをくれたのは彼なのに。
 パパが部屋を出て行った後、私は思いっきり泣いた。
 今までにないぐらい、思いっきり泣いた。
 それから、看護婦さんから貰っておいた便せんを手に取り、文字を書き殴る。
『遠くへ行くことになったの。もう、貴方とは会えないわ』
 これは、嘘なの。
『だから、これが最後の手紙よ』
 本当はね、最後になんてしたくないのに。
『今まで、ありがとう。それから……バイバイ』

 あぁ、もう少し一緒に、居たかった。

 時が経つにつれて増えていった管を引っこ抜き、彼の元へ急ぐ。
 貴方は私を待っていますか。
 紙飛行機を飛ばして、それで終わり。
 私と貴方は、もう、二度と会うことはないわ。

 私の手元を離れた紙飛行機。

 彼の元へ届いた、私の最後の想い。
 貴方は私に向かって、何か言葉を発するけれど。
 ごめんね。もう、君の声も聞こえないの。


 あの別れから、幾月か。
 とうとう私の体は、動かなくなってしまった。
 彼の元へ走っていたあの時が、夢だったかのようだ。
 今更になって、あの時強がらなければよかったと後悔する。
 でもその後悔は、もう遅すぎた。

 もう一度、貴方に会いたい。
 
 どこかで笑う貴方に、会いたい。

 貴方に、会いたい。

 貴方から貰った手紙は、もう何度何度も繰り返し読んだ。
 今はもう、目が霞んでしまって読めない。
 記憶を頼りに、彼の字を思い出す。
 貴方の手紙だけが、私に光をくれた。
 希望や未来、輝いている物を教えてくれた。
 部屋の中を、無機質な音が占めている。


 お願い。

 もしこれが最期なら、行かせて。


 貴方の元へ――……。 


 私の意識が、遠のいて行く。
 目を閉じると、彼の顔が浮かんだ。
 あぁ、迎えに来てくれたのね。
 遠くの方で、パパが私を呼んだ気がした。
 でもね、私、行かなきゃ。彼の元へ。
 約束をしているの。また明日、あの場所でって。
 ごめんね。パパ。


 気付くと私は、広い広い草原にぽつりと、独りで立っていた。
 違う。
 後ろを振り返ったら、彼が居た。
 今まで仄暗かった一帯が、一斉に輝き出す。
『やっと……会えた』
 彼はそう言って、私に手を差し出した。
 痣のない、綺麗な手だ。
 私は、迷わずその手を取る。
『私も、貴方と会いたかったわ。……こうして、二人きりで』
 私と彼の手には、紙飛行機がある。
 これはもう、必要ない。
 だって隣に、貴方が居る。 
『これからは、もう離れないよ』
『二人で一緒に、世界を作りましょう』
 私は、彼の肩にもたれかかった。
 ねぇ、とても温かい気持ちなの。
 これが、幸せなのね。

『ねぇ』

 彼が、小さく私に問いかける。
 彼の手から、紙飛行機が飛んでいった。
『ずっと、知りたかったことがあるんだ』
 彼の口が、私の耳元に寄せられる。
 君の名前、教えてくれる。と。
 貴方は小さくそう言った。
 そういえば。私たちは、まだお互いの名前を知らない。
 私は微笑むと、彼が私にしたように、口を彼の耳へ寄せた。

『私の、名前はね――……』



 真っ白な部屋の中。
 私の世界は終わりを告げた。
 でも、これでもう、寂しくない。
 私の世界は、私たちの世界へと変わったのだから。





END


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