黄色いデザート -コンチータの召使- 「あなたたちは、どんな味がするのかしら?」 耳元で囁かれて、ぞっとした。 「とてもおいしそうだわ」 生暖かい舌が、私の首筋を這っていく。 全身の毛が、逆立つ。 「こ、コンチータ、様……?」 「ふふ、大丈夫。冗談よ」 危うく、悲鳴をあげるところだった。 私は、小さな刃と長い柄を持つナイフを、しっかりと持ち直す。 同じようなフォークを持ったレンを見ると、彼はじっと床を見ていた。 ……違う。 今報いを受けたばかりの、コックを見ている。 「われらが偉大なコンチータ様」 コックを見つめたまま、レンの口が開く。 私は静かに、その言葉を聞いていた。 「何かしら、レン」 「この元コックは、どう料理しましょうか」 「そうねぇ……あなたの好きなように料理して頂戴」 適当に、とコンチータ様が笑う。 今の彼女にとっては、とにかく食べられればいいのだ。 余す事なく料理をすれば、彼女は満足してくれる。 「はい、コンチータ様。すぐに準備をします」 レンがフォークを壁に立てかけ、コックだった物へと手を伸ばす。 黙ってその様子を見ていた私の肩に、コンチータ様の手が置かれた。 「食事の用意を。今日の晩餐も、楽しみだわ」 コンチータ様はそう言うと、ドレスの裾を引きずりながら、奥の部屋へと消えて行った。 材料を運ぶレンと、ナイフを持った私。 二人だけが、部屋に残される。 「リン、何やってるの。仕事するよ」 ナイフを抱えたまま突っ立っている私に、レンが声を掛ける。 彼の顔がライトに照らされ、赤く光っている。 ……返り血に染まった彼も、美しかった。 「ねえ、レン……私たちもいつか、このコックみたいに……」 「リン……。コンチータ様を裏切らなければ、大丈夫だよ」 私が不安げに呟くと、レンはコックを離して近寄って来た。 赤い顔が、間近にある。 彼の目に、私が映っていた。 「僕たちは、コンチータ様に仕える身」 「うん」 「コンチータ様に拾われたあの日、僕たちは誓った」 「……コンチータ様に、全てを捧げると」 私が続きを言うと、レンは満足そうに笑った。 ナイフに、レンの手が這う。 「さぁ、手伝って。リン」 甘く、囁くようなレンの声。 脳が痺れた。 「僕一人じゃ、重くて運べないんだ」 「……いつものように?」 「そう。まずは、そのナイフで細かく……ね」 レンの手が、ナイフを持つ私の手に重なる。 床に転がるそれに、ナイフが食い込んだ。 あぁ、もうやめようよ、レン。 細かくなった材料を、レンは鍋へ放り込んで行く。 無表情でそれを行うレンに、初めて恐怖を覚えた。 『あなたたちは、どんな味がするのかしら』 コンチータ様の声が、今もまだ耳に残っている。 慌てて、首筋を服の袖で拭いた。 頭のどこかで、警鐘が鳴っている。 「リンは、逃げるの?」 唐突に、レンの口が開いた。 彼の視線は、相変わらず鍋へと向かっている。 「……逃げないよ」 「そう」 レンには、私の気持ちなんて全部筒抜けなんだろう。 私は、血にまみれた手を、返り血で染まった服で拭いた。 「そういえば、このコックの料理は最悪だったね」 「そうね。食べられたもんじゃなかった」 「だって、冷たい物ばかり」 「でも、コンチータ様は気に入ってたわ」 レンは、にやりと口元に笑みを浮かべた。 ぱらぱらと、青い毛髪が鍋へ入れられていく。 「いい気味だ」 そう言ったレンの表情は、コンチータ様にそっくりだった。 「われらが偉大なコンチータ様。晩餐の用意が整いました」 部屋のドアをノックし声を掛けると、中で人が動く気配がした。 ドアが、こちら側へ開かれる。 「ありがとう、リン」 姿を現したコンチータ様は、私に微笑みかけた。 その妖艶な笑みに、背筋を何かが駆け抜けて行く。 ……あれは、捕食者の目だ。 ドアの隙間から、微かに腐臭が漂ってくる。 「それで、メニューは?」 「はい。冷製スープを」 「あぁ、あのコックらしいわね」 コンチータ様が、ダイニングルームへ向かって歩き出す。 私は、小走りでその後を追った。 「次のコックはどうしますか」 スープを出しながら、レンが問う。 コンチータ様はスープを一瞥してから、レンに微笑み掛けた。 「考えておくわ」 彼女の美しい手が、スープに浮かぶ青い毛髪を掴み出す。 それは、あっさりと口へ運ばれた。 ぺろりと、赤い舌が覗く。 「おいし……」 その動作一つ一つが、スローモーションで流れているように感じる。 コンチータ様から視線を外し、私はレンを見た。 ふっと、私とレンの視線が触れる。 「リン、次の料理を」 レンの目が、怖かった。 まるで、私の全てを見透かしているようだ。 視線が外せない。 「リン」 「あ、……はい」 ……いや。レンには、私の気持ちなんて全て見透かされているんだろう。 私がどんなに隠したって、レンには隠し通せない。 「すぐにお持ちします、コンチータ様」 私はコンチータ様に一礼をすると、キッチンへ向かった。 あれ。そういえば、レンは次の料理なんて用意してたっけ。 キッチンに着くと、そこには何もなかった。 レンは私に、何か作ってこいって意味で言ったのかな。 しばらく冷蔵庫を漁っていると、後ろから物音がした。 ……足音だ。 「リン、あんまり時間を掛けると、コンチータ様が待ちくたびれてしまうよ」 レンだ。 レンは私のすぐ後ろまで来ると、立ち止まった。 胸がざわつく。 逃げろと、頭の中で声が響く。 私は後ろを振り返り、思わず息を飲んだ。 口からは、悲鳴さえ出てこない。喋れない。 彼の手には、私のナイフが握られていた。 「ねぇ、リン。それとも、逃げる計算をしていたの?」 「ち、が……」 私は、絞り出すようにして声を出す。 出てきた声は、掠れていた。 「リン、僕は何でも知っているんだよ?」 レンの口元が、笑みを浮かべる。 私は後ろへ下がろうとして、冷蔵庫にぶつかった。 冷蔵庫の中にあった果物が、いくつか床に散らばる。 そのうちの一つが、ぐしゃりと、レンの足に潰された。 「リン、君だってよく知っているはずだよ」 私の頬を、レンの指がなぞった。 彼の手の中、ナイフがライトを反射する。 「ち、違うの、レン……聞いて……」 「何が、違うの?」 「逃げようとなんて、してないわ……だから、お願い……」 「……リン。君は、彼らと同じ事を言うんだね」 「え……?」 一歩、二歩、彼が後ろへ下がる。 そして、ナイフを振り上げ……。 「裏切り者たちは、みんな最期の時、命乞いをする」 私は目を見開き、その動作を追った。 「裏切り者には、報いを受けていただきましょう」 レンは、歌うように言った。 ナイフは私を切り裂き、赤が床に散らばる。 私の耳に届いた言葉は、それが最後。 真っ暗になった視界と、何も聞こえない耳。 (あぁ、レン……) 私は最後、頭の中でレンの名前を呼んだ。 「早く、コンチータ様にデザートを運ばないと」 その目からは涙が溢れ、視界がぼやけている。 レンはリンを切り裂いたナイフを投げ捨てると、彼女を抱き上げた。 「ごめん、ごめん、リン……リン……っ」 彼女を亡くしてから、その大切さに気付く。 いくら謝罪の言葉を並べ立てても、彼女の元へは届かない。 力なく、自分の腕の中に収まるリン。 レンはそのまま、バニカ・コンチータの元へと向かった。 「われらが偉大なコンチータ様」 ダイニングルーム。 大きなテーブルを前に、豪華な椅子に座る彼女。 レンは彼女の前に跪くと、リンを差し出した。 「デザートです」 「あら、リン……」 「裏切り者には、報いを受けていただきました」 「……」 コンチータは、リンを前に黙り込む。 赤く染まった彼女は、レンの腕の中で泣いていた。 「それから、コンチータ様」 ぽたり。 リンの頬に、一粒涙が落ちる。 それは彼女の頬に、もう一つ涙の筋を作った。 「リンと同じく、僕も裏切り者の身。どうか、報いを」 「あぁ、レン……可哀想な、私の召使たち」 コンチータは口の端を吊り上げると、レンの頭をそっと撫でた。 その指が、レンの髪に絡まる。 「それじゃあ、おいしく頂こうかしら」 「リン、君が裏切り者ならば僕も裏切り者」 「あなたたちは、どんな味がするの。召使さん」 「コンチータ様。どうか、最期の恩返しを受け取って下さい」 コンチータが、テーブルの上にあったナイフを掴む。 レンは、腕の中のリンに口付けた。 コンチータが、ナイフを振り上げる。 「すぐに逝くよ、リン」 そうしてまた二人、屋敷から姿を消した。 召使は二人、コンチータの中で一つになった。 End |