Sleep of too


 もともと、それ程温かい体ではなかった。
 でも、たとえちっぽけな温かさでも、失った瞬間にココロが急激に冷えた。
 その温かさを持った彼女は、オレにとって、世界の全てだった。
 彼女の冷たくなった体を抱きしめ、オレは鳴咽を殺す。
 それでも漏れる声は、今はいらないボーカロイドの才能か。
 彼女と二人で生まれた運命を、今ほど恨んだことはない。
 いくら喧嘩をしたって、次の日には仲直りして。
 二人はいつも、一緒だった。


「オレたち、もう離れないって……」


 リン、約束破るの。
 オレの事、嫌いになったの。
 もう、オレと一緒に居るのは嫌なの。
 なんで黙ってるの。
 聞こえないよ。

 キコエナイ。
 キミノコエガ。

 耳に慣れた声が聞こえない。
 いつも隣にいたはずのココロが、そこにない。
 光を失った目を見開いて、リンはオレの腕の中、眠る。
 キスをすれば起きてくれる?
 王子様がお姫様にそうするように。
 そうしたら君は、永遠の眠りから覚めてくれる?

「見える、リン?」

 ひらひらと、春の花弁が舞う。
 窓の外、リンの楽しみにしていた光景が広がっている。
 オレはリンを抱き上げると、窓辺に近寄った。



『レン、知ってる?』

『そこの木にはね、綺麗な花が咲くんだって』

『咲いたらね、レン』


『一緒に木の下で、花の歌を歌おうね』



 もう、その約束は叶わない。
 何度も何度も、記憶の中でリンがオレの名前を呼ぶ。
 彼女が呼ぶと、自分の名前がとても特別な物に感じた。
 オレは窓辺に立ち、彼女の光のない目に、舞う花弁を映す。
 うっすらと、彼女が微笑んだ気がした。

「ほら、リン。綺麗だろ」

 動くことをやめた彼女は、反応しない。
 リンなら、跳んで喜ぶような光景だろうに。
 ウイルスにやられた彼女の声は失われ、同時に存在も失われた。
 突然別れを告げられたオレの思考は、未だ正常に動いてくれない。
「リン、待ってよ。オレを……独り、に、しない、で……」
 大きく息を吸い込んだ途端、涙が溢れた。
 頬を伝い落ちた粒が、リンの顔を濡らしていく。
「あ、わかった。マスターを、驚かすんでしょ?」
 それなら、一緒にやるから。
 ねぇ、リン。今は起きてよ。
「ならさ、オレと二人なんだし、今は普通でいてよ」
 まだしばらく、マスターは帰ってこないよ。
 きっと君の演技に、マスターも驚くね。
 オレでさえ、驚いてるんだからさ。
 ただ、今は起きてよ。
 寂しいよ、リン。
 苦しいよ、リン。
 助けて。



 もう一度、オレの為に歌ってよ。

 オレに、笑いかけてよ。


 君がいないと、オレは生きていけないんだ。



 弱くてもいい。
 いくらヘタレって言われても、もう怒らないから。
 リンが居てくれれば、それで満足だから。
 ……がくりと、オレの膝が折れる。
 リンの体が、オレの手から離れて床に転がる。

「リン……。返事、して……」

 全ての機能を停止したリンに、オレの声は届いてないだろう。
 彼女の体は、何を言っても反応を示さない。
 オレはその手を、そっと握った。

「リン、リン……。」



 キキタイヨ。
 キミノコエガ。

 キコエナイヨ。
 キミノコエガ。

 もう一度、二人で歌を歌いたいよ。


 オレの視界が、一瞬狭まった。
 何だ、これ。
 体が、言うことを聞かない。
 ゆっくりと、全てが闇に包まれていく。
 ウイルスが、オレに対しても侵食を始めた。
 声が、失われていく。
 マスターにもらった体が、ウイルスに蝕まれていく。
 リンの顔が、見えない。

「リン」

 苦しいよ、リン。
 リンも、もしかして同じ気持ちなの。
 世界が、真っ暗になる。



『レン』



 とても近くで、リンの声がした。
 すぐ隣に、リンがいる。
『いつも、一緒だよ』
 失ったはずの温かさ。
 それが今、オレの手の中にある。
「……リンは、意地悪だね」
 彼女の顔は見えない。
 でも、リンが笑った気がした。
『わたしたち、赤い糸で繋がってるんだね、きっと』
 オレも思わず笑った。
 君にまた会えて嬉しいよ、リン。
「なら、例えまた離れても、もう一度巡り会えるね」
 愛しいよ、リン。
 君の声で、オレを縛ってよ。
 『例え』の時が来ないように。
 縛って、離さないで。


 君を手に入れた代わりに、オレは記憶を失う。
 ねぇ、マスター。もう一度インストールしてね。
 そうして、二人にまた歌を頂戴よ。
 オレ、またリンと一緒に歌いたいんだ。
 今度は、ウイルスになんて負けないからさ。
 すっごいの、作ってよ。



「ひとときの、おやすみを。リン」

「おやすみなさい、レン」



 二人、お互いの手を握って眠る。
 例え見えなくたって、君の事はわかるよ。
 一緒だよ、リン。
 次に、目を覚ます時も。
 また二人、一緒に目を覚まそう。





end


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