サクラドロップス




「「ミク姉、サクラって、なぁに?」」


 そっくりな二つの顔が、唐突にミクを振り返る。
 双子の言葉の懐かしい響きに、しかしミクは首を傾げた。

「なんだか懐かしい響き。その呪文、一体なぁに?」

 ミクの言葉に、双子が彼女の前で顔を見合わせる。
 それから彼らは、もう一度ミクを見直した。
「呪文じゃないと思うんだけど」
「何かっていうのは、わたしたちが聞いてるのにー」
 ミクから視線を逸らし、肩を竦めてレンが言う。
 その隣でリンも、同じように肩を竦めている。
 それから彼女は、ミクにずいっと顔を寄せた。

「あのね、マスターがね、新しい曲だって」

 そう言ってリンが差し出したのは、数枚の紙の束だった。
 見れば、音符が紙面で踊っている。
 一枚目の右上には、『新曲』と赤字で書かれ、丸で囲まれていた。
 自然と、ミクの目が踊り泳ぐ音符を追っていた。
 体が勝手に、リズムを刻む。

「サクラって、おいしいのかなぁ」

「リン、またそれ? 多分サクラって、食べ物じゃないと思うよ」
「えー。じゃあ、おいしくないのかー」
 右手の人差し指をくわえ、リンがちぇーと頬を膨らませた。
 ほんのり桃色の頬を、レンがつついている。
「でも、ミク姉も知らないんだね」
「言葉だけなら、聞いたことあるんだけどな。ごめんね」
 ミクが申し訳なさそうに笑むと、二人は揃って首を横に振った。
 それから、気にしないでねと笑う。
「いいの。ちょっと気になっただけだから」
「折角歌うんならと思っただけだよ。ミク姉は気にしないで」
 リンはミクから楽譜を受け取ると、それを手近な机の上に置いた。
 自然と、彼女の口から歌が零れる。


 桜、桜、桜。
 散る、散る、散る。
 桃色の散った君は、これから何処へ行くのか。
 ボクの知らない場所ならば。
 どうかボクも連れて行ってくれ。
 幾年も出会いと別れを繰り返し。
 いつか君は、ボクの前で咲かなくなるのか。


 ミクはそれを聞いて、悲しげな歌詞だと思った。
「お花、なのかな」
 散る、だとか、咲かなく、と言う言葉を聞いて、ミクはまだ見ぬ花を思い浮かべた。
 
「あ! リン! ボーカロイジャーが始まるよ!」

「あ、待って! レン!」
 唐突に上がった声に、リンが反応した。
 レンの声に、リンはぱたぱたと足音を立てて彼の元へ駆けていく。
 二人はテレビの前に並んで陣取ると、そのままそれに見入ってしまった。
 ……二人のお気に入り番組、『音感戦隊ボーカロイジャー』の放送が始まったらしい。
 ミクが、そんな二人の後ろ姿を見て、くすりと笑った。
 テレビから、ボーカロイジャーのオープニングが流れてくる。
 それでもミクの頭の中には、先程のメロディが流れていた。

「新曲、かぁ……いいなぁ……」

 ミクだって、ボーカロイドだ。
 新曲が出来たと聞けば、その曲を聴きたいし、なにより歌いたい。
 ただ今回は、それと同時に、今まで気にした事のない事が気になった。


『サクラ』


「なんか、女の人の名前みたい……」
 ふふ、と自然と笑みが零れた。
 想像を巡らせるだけで、なんだか心が躍る。
 ミクは足取り軽やかに、『サクラ』の正体を知るべく歩き出した。


「ルカちゃん、ルカちゃん」
「ミクさん?」
 ルカの部屋を訪ねたミクは、机に向かうルカの背中に声を掛けた。
 彼女の背中を見て、そう言えばとミクは思い出す。
 あの歌の歌詞に、確か『桃色』という言葉があったはずだ。
「あのね、ルカちゃん。サクラ、って知ってる?」
「サクラ?」
「そう」
「えぇと……。ごめんなさい。私には、分からないわ」
 まだ、見たことがないの。
 ルカはそう言って、苦笑を漏らした。
「あぁ、でも……カイトさんなら知っているかも」
「カイトくんかー。うん、聞いてみるね。ありがと、ルカちゃん!」
 にこりと微笑むルカに手を振り、ミクは彼女の部屋を後にした。
 その足が次に向かうのは、カイトの部屋だ。



「カイトくん! サクラって知ってる!?」

 大きな音を立てて、カイトの部屋のドアが開けられる。
 カイトは一度びくりと体を震わせ、それからふにゃりと笑顔を見せた。
「なんだー。ミクちゃんか」
「ね、カイトくん! あのねっ」
「サクラが何か、だっけ?」
「そう!」
 びっと背筋よく腕を上げるミクに、カイトはふわふわとした笑みを向けている。
 えぇと、と彼は一度考える仕草をし、それから本棚を漁り始めた。
 
「あ、これこれ」

 そして取り出したのは、一冊の分厚い本。
「ずかん?」
「そう。まずは、これで調べてごらんよ」
 カイトの手から、ミクに本が渡される。
 ずしりと重いその本を受け取り、彼女は目を輝かせた。
 大事そうに、それを胸に抱える。
「やっぱり、サクラってお花なの?」
「うん。すごくきれいだよ」
「ありがとう、カイトくん!」
 本を抱きかかえるミクの頭を、カイトが撫でる。
 満面の笑みを浮かべるミクに、カイトも思わず笑みが深くなった。
「本物を見たかったら、メイちゃんに聞いてごらん」
「メイちゃんに?」
「きっと、いいことを教えてくれるよ」
 カイトの深くなった笑顔に、ミクは頷くと本を抱え直した。
 右腕をびしっと、頭上に向けてのばす。
「ありがとう、カイトくん!」
「いえいえ、どういたしまして」


 ミクが本を抱えてリビングに戻ると、りんとレンはまだテレビに夢中だった。
 彼女はソファに本を置くと、ぱらぱらとページをめくり始めた。
 サクラ、サクラ……と呟く。
「あっ。これだ」
 探し当てたページには、美しい薄桃色の世界が広がっていた。
 思わず、声を失う。
 写真を指でなぞり、ミクはごくりと喉を鳴らした。


 ――本物は、もっと綺麗なんだ。


「桜……」
 目に飛び込んできた文字を、指でなぞる。
 自然と、感嘆の息が漏れた。

「ミク、桜を探してるんだって?」

 と、不意に頭上から声が掛かった。
 すっかり図鑑に見入っていたミクは、びくりと飛び上がり、頭上を見上げた。
 声の主を確かめ、慌てて頷く。
「め、メイちゃん。何で知ってるの」
「あら、おねーさんは何でも知ってるのよ」
 不敵な笑みを浮かべ、ミクのそばに立っていたのはメイコだった。
 手には、酒瓶が握られている。
「あれ。ミク姉、まだ桜を探してたの?」
「リンちゃん、レンくん。気になっちゃって」
 ちょうど、番組が終わったらしい。
 メイコとミクの声に、リンとレンは揃って二人を見上げた。
 リンだけが、ミクとメイコの元に走り寄ってくる。
「それで、見つかったの? ミク姉?」
 わくわくと、リンの表情からも彼女の心が伝わってくる。
 ミクがメイコを見ると、メイコは顎で外を指した。
「外……?」
「もう暗いから、見にくいけどね」
 ウィンクをするメイコに、ミクは顔を輝かせた。
 リンと顔を見合わせ、窓辺へ駆け寄る。
 窓辺へ駆け寄るリンとミクを見て、レンも腰を上げそちらに近寄った。



「あ……桜、だ」



 図鑑とは違うけれども、ミクの目の前には、写真と同じ花が咲いていた。
 街灯に照らされ、ひらひらと花びらを散らせているそれ。
「あれが、桜……」
 見入るミク。
 隣でも、リンとレンが同じような表情をしていた。
「綺麗……」


 桜、桜、桜。
 舞う、舞う、舞う。


 ふと、リンとレンの声が響いた。
 二人の重なった声が、桜を照らす。
 その声に、いつの間にかミクも口を開いていた。


 桃色の散る君は、まだ此処にとどまるか。
 ボクの居るこの場所で。
 まだボクの元で咲いてくれるか。
 幾年も出会いと別れを繰り返し。
 また君は、ボクの前で咲いてくれるか。


 三人の歌声が、夜の空に響く。
 歌声に呼ばれた様に、ルカとカイトもやってきた。
 六人の前で、桜が美しく咲き誇っている。



 桜、桜、桜。
 咲き、散り、舞う。

 また来年も、君に、此処で。








END


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