Always


 いつだって一緒だと、信じていた。
 何があったって、離れることはないと思っていた。

「……レン?」

 呟いた名前に、答える声はない。
 新しいマスターに呼ばれて、気付けば新しい自分の部屋にいた。
 ……ただ、何かが足りない。
 新しいマスターに呼ばれた喜びと、嫌な胸騒ぎが全身を支配する。


「……どこ、レン」


 もう一度、小さく呟く。
 きょろきょろと辺りを見渡しても、目に映るのは真新しい部屋と家具ばかりだ。
 見たい姿が、見当たらない。
 いるはずの彼が、いない。



「レン。レン、レーンッ!」



 立ち上がり大声で叫ぶと、その声は部屋に反響した。
 ……それでも、今一番聞きたいはずの声が、聞こえない。
 いつもなら、一番に自分を呼んでくれる人が……いない。
「どこにいるの、レン」
 鼻の奥がつんとして、リンは思わず目を強く閉じた。
 歌うために作られたボーカロイドは、人一倍感情に敏感だ。
 いくら制御しようとしても、しきれない。
 気付いたら、頬を涙が伝っていた。

「マスター、マスター、レンがいないよ」

 とめどなく、涙が流れる。
 彼がいたなら、きっと真っ先にその涙を拭っただろう。
 それから、きっと彼女に笑いかける。


『リン、怖い夢でも見たの?』


 ディスクの中眠っていた時、彼はいつもそうして頭を撫でてくれた。
 リンが「わたしの方がお姉さんだよ」といくら言い続けても、やめなかった。
 握り合った手が離れることも、なかった。


「マスター、わたし、レンがいないと歌えないよ」


 画面の向こう、その声はマスターへ届かない。
 きっとマスターは、パソコンの初心者なんだ。
 レンのインストールを忘れてたしまったのだと、自分に言い聞かせる。



「独りはヤだよ。レン」



 心にぽっかりと、穴が開いてしまったようだ。
 そこを埋められるのは、レンしかいない。
 そこはレンの為にあり、彼の代わりなんていやしない。



『リン、マスターに会えたら、まずは挨拶するんだよ』
 ――出来ないよ、レン。


『あんまり、ワガママも言っちゃダメだよ』
 ――言わせてよ、レン。


『大丈夫。オレも一緒だからさ。リンのワガママは、オレが全部聞くよ』
 ――レンの、ウソツキ。なんでいないの。



 頭の中に、レンの声が響く。
 例え離れたって、彼の声は忘れない。
 忘れられない。
 忘れたくない。

『ゴメンネ』

 響いた声は、記憶の中のものか。
 それとも、ディスクから聞こえたものか。
 流れる涙は止まらなく、リンはひたすら目元を擦った。
「独りはいやだよ、レン。出て来てよ、レン」
 いくら名前を呼んでも、返事はない。
 ディスプレイの向こうで、マスターは何をしているのだろうか。

「ます、たぁっ!」

 リンは唐突に、小さな手で、床を叩き始めた。
 じんじんと、手が痛くなってくる。
「聞いてよ、マスターッ!」
 虚しい音だけが、辺りに響く。
 出て来る声は、叫びよりも悲鳴に近かった。
「マスターッ、レンがいないんだってばぁ……聞こえてるでしょ……」
 しばらく床を叩き続けて。
 それから疲れたように、リンは床を叩くのをやめた。
 今度は小さく、彼女の鳴咽だけが辺りを支配する。



「レン……」



 ぽつりと、名前を呼ぶ。
 小さな小さなその声は、やけに反響した。

「リン」

 不意に、リンの耳元で彼女を呼ぶ声。
 その声に、リンはぐしゃぐしゃな顔で振り返った。
「リン、不細工になってるよ」
「れん、が……遅いから……ッ!」
 その先にいたのは、待ち続けていた人の姿。
 リンがずっと呼び続けていた、彼の姿。
 もう一人のリンであり、最愛の人。
 リンはその姿を確認するや、彼に勢いよく抱き着いた。
 ふわりと、彼女の体を包み込む腕。
 その手が、リンの頬をそっと撫で、涙をすくいとる。
「……泣き虫」
「泣いてないよ」
「寂しかったの?」
「違うよ、全部レンのせいだもん」
 リンの手が、しっかりとレンの服を掴む。
 応えるように、リンを抱きしめるレンの腕にも力が入った。
「もう、離してあげないもん」
「オレも、離さないよ」
 リンの腕の中には、求めていた温もりが存在している。
 マスターに叫び続けた結果だろうと、リンは勝手に結論付けた。
 ……レンが今隣にいれば、それでよかったから。
「もう離さないでね、レン」
「リンが望む限り、オレはここにいるよ」
 リンがレンの手を握ると、彼はしっかりと彼女の手を握り返した。
 絡み合った指が、お互いの心を繋げる。


「レンなんて……大好きだもん」

「リン、好きだよ」


 ただ、繋ぎ合った手だけじゃ足りなくて。
 二人、言葉を載せて歌う。
 その声はきっと、二人をずっと繋ぎ続ける。





「一緒にいてくれてありがとう、レン」





End


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