二人を繋ぐ紙飛行機 -少女- (前編)




 貴方と会った、その時から。
 私の世界は、変わった。
 大嫌いだった私の人生が、全てが。
 とても素晴らしい物に、感じられた。


 毎日、私は真っ白な世界で生きていた。
 今の私にとって、それが私の全てだった。
 一人この部屋で、死だけを待つ自分。
 ただ待つことしか出来ないのならば、いっそ殺して欲しい。

「あの、世界へ……」

 ここに入ってから、もう何度目か……。
 窓の外には、緑の季節が来ていた。
 私は、窓へと手を伸ばす。
 窓を開けて向こうの世界へ行けたなら、私はもう何もいらない。

「私も、向こうの世界へ……」

 独りの世界は寂しくて。
 色鮮やかな花だけが、私を癒してくれる。


 その日私は、何かに呼ばれた気がした。
 真っ白なワンピースに着替え、大きな帽子で顔を隠す。
 そして、外へ。
 越えられないと思っていた壁は、意外にもあっさり越えられた。
「……パパに、叱られるわ」
 きっと、私が越える努力をしていなかっただけ。
 本当は、私と外の世界に、壁なんてなかったのかもしれない。

「空気が……おいしい」

 深呼吸をして、肺に空気を送り込む。
 病院の中は、いつも薬品特有の臭いがしていた。
 何年も掛けて、その臭いは私の体に染みついた。
 それから、無機質な音ばかりが響く。
 ……外の世界は、違う。
 歩き出すと、私の足は止まらなかった。
 自分が病気だというのも忘れるほど、体が軽い。

「病気、治ったのかも」



 どれほど歩いただろうか。
 きっと、歩き慣れてない私の足では、それほど遠くには来ていないだろう。
「ここは……?」
 私の目の前には、柵があった。
 左右どちらを見ても、ずっと先までその柵が続いている。
 ……遠い昔の記憶が、引っ掛かった。
「パパの仕事場?」
 柵の向こうを見ると、写真の中のパパそっくりな格好をした人達がいた。
 だけど、あまり数は多くない。
 きょろきょろと中を見回していた私の目が、一人の人物を捉えた。
 制服ではない。
 ボロボロになった黒い服を着た、おそらく自分と同い年ぐらいの、少年。
「あ……」
 金色の髪は汚れていて、遠くからでもわかるほど痣だらけだ。

 その少年は、看守に虐げられていた。

『ここは、悪い人を捕まえておく場所なんだよ』
 遠い記憶の中、パパの声がする。
 じゃあ、パパは正義の人なんだ、と思ったのを覚えている。
 ……これが、パパの言う正義なの?
 見ているだけで、体中が痛くなる。
 怒鳴るような声が聞こえ、少年がその場に倒れた。
 怒鳴る声は、まだ続いている。

「やだ、痛いよ……っ。もう、やめてあげてよ……っ」

 私は走り出していた。
 息を切らし、元来た道を走り抜ける。
 胸が苦しい。
 足が痛い。


 彼は、それ以上に辛い思いをしているのかな。


 彼の姿が目に焼き付いて、離れない。
 彼は開きかけた口で、何を言おうとしたのだろうか。


 次の日も、病院を抜け出して。
 私の足は、昨日の場所に向かっていた。
「彼は……無事かな」
 昨夜は、あまりよく眠れなかった。
 浅い眠りを何度も繰り返し、眠った気がしない。
 目を瞑ると、彼の姿が浮かぶ。
「どうか、無事でいて……」
 たどり着いてすぐ、彼が目に飛び込んで来た。
 いた。よかった。
 無事、とは言いづらいが、自分の力で動いている。

「貴方は、必死に生きてるの……?」

 それとも、もう死んでしまいたいくらいなの。
 くすんだ髪と、疲れ切った顔と、体中の痣と。
 不意に、彼がこちらを向いた。
 私は咄嗟に、顔を俯かせる。
 彼が、近寄って来た気配がした。

「君は、誰。ここにはいない方がいいよ」

 彼の声が、私を捕える。
 とても美しい声だ。
 私の心臓が、高鳴った。
 何も答えない私を、彼はきっと訝しんだだろう。
 けれども私は、答えることが出来ない。
 答えたら、私はここから離れられなくなるだろう。
 きゅっと唇を結び、顔を上げる。


 視線が、絡み合った。


 真っ直ぐに、彼が私を見ている。
 少し驚いたような口元には、うっすらと血がにじんでいた。
「君は……」
 彼が何か言いかけた。
 私はそんな彼に微笑みかけると、小さく手を振る。
 口の中で「また明日」と呟いた。





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